needs概念に関する社会的主体視点からの考察

needsを歴史的=社会的諸関係を捨象した抽象的概念として理解したのでは、needs充足ということの社会的意義を理解することができない。すなわち、現実の「生産=消費」関係の中でneedsを議論する場合には、needsが何らかの社会的主体のneedsであることを見る必要がある。

単純な抽象化では、needs-wants-demandはproductの消費プロセスとして捉えられ、消費者のneedsを充足するためにproductが生産されるという形で理解されることが多い。

しかし「生産=消費」関係を社会的主体の関係として見た場合、すなわち「生産者=消費者」関係として見た場合には、消費者のneedsとともに、生産者のneedsも議論する必要があることがわかる。

消費者のneedsは、「自己の生物学的生存(生物的活動の維持・発展)に必要なもの」や、「自己の社会的生存(社会的個体としての存続・発展、夫or妻・親or子としての存続・発展、社会的主体としての社会的活動の維持・発展)に必要なもの」といった形に分析的に理解できる。

生産者のneedsは、生産活動に必要なものである。競合企業に対する持続的競争優位の確保、あるいは、社会的発展を可能にする製品の高性能化や低コスト化などへのneedsが生産手段の技術的変革を社会的に促す。例えば以下の引用を見よ。

「火力発電機が高温・高圧化する結果,ますます耐熱性の高い材料が要求されてくる。工作機械の切削速度が速くなるにつれ,あるいは速くしたいために,それに耐えうる工具鋼が要求されてくるのである。工作機械自体も,はじめは木材からできていたのが,1797年モーズレーの旋盤の出現の頃を境にして,木材のフレームから狂いの少ない鉄へと転換した。精度と高速運転の要求が木材から鉄への転換を促したのであり,この関係は織機についても同じである。」中村静治(1977)『技術論入門』有斐閣、p.56
カテゴリー: 未分類 パーマリンク