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近代化と技術革新
高島善哉(1968)「近代化とは何か」高島善哉編(1968)『近代化の社会経済理論』第1章, p.20-「技術における近代化が近代化のシンボルとしてもっとも目につきやすく、具象的であることは否定できない。」
「近代化といえば、何よりもまず技術における近代化と解するのが一般の常識である。技術革新という日常語がこの常識に照応する。いうまでもなく近代化は技術革新につきるものではない。けれども技術における近代化が近代化のシンボルとしてもっとも目につきやすく、具象的であることは否定できない。そればかりでなく、近代化の起動力は技術革新にあるという見方も、人びとの現実経験のうちに深く根ざしている。近代化の究極の起動力が技術にあるのか、それとも技術以外の要因(たとえば人間の精神力や組織力)にあるのかはしばらく別問題として、近代化といわれる歴史的社会的現象が、技術の異常な発展においてみられるということは疑いをいれない。だから技術が第一の近代化の要素としてとり上げられなければならないことも一応もっともであるといわなければならないであろう。」
イノベーションと法
法律がイノベーション遂行の「妨げ」となる最近の事例は、「人間が自動車を運転しなければならない」(ドライバーは人間に限る)という道路交通法の規定である。全自動運転自動車というイノベーションの社会的普及委は、現行道路交通法のそうした規定を改定する必要がある。
事例1.蒸気自動車というイノベーションの社会的普及の「妨げ」となった19世紀イギリスにおける「赤旗法」
事例2.日本における電気自転車というイノベーションの社会的普及の「妨げ」となった「道路交通法」
事例3.セグウェイというイノベーションの社会的普及の「妨げ」となった「道路交通法」
事例4.銀行間のデジタルネットワーク(オンラインシステム)構築の「妨げ」となった「公衆電気通信法」
公衆電気通信法は1971年5月に改正されているが、それ以前の公衆電気通信法では公衆通信回線のデジタルネットワーク(オンラインシステム)の構築は、同法で禁止された「回線の共同利用や他人使用」に該当するものとしてできなかった。
技術パラダイム論
Dosi, Giovanni(1982) “Technological paradigms and Technological trajectories : A suggested interpretation of the determinants and directions of technical change” Research Policy11(3), June 1982, pp.147-162
邦訳「技術パラダイムと技術軌道」今井賢一編(川村尚也訳,1989)『プロセスとネットワーク』第3章,pp.71-112
Schumpeterにおけるイノベーションに関する二つの不連続性-技術的不連続性と遂行者的不連続性
Schumpeterは、新結合における不連続性に関して、下記のように技術の不連続性と担い手の不連続性という二つを区別すべきだとした上で,旧製品に関わっていた企業・人間が新結合の遂行者になることは原則としてない,と述べている。
「新結合の遂行者が、この新結合によって凌駕排除される旧い慣行的結合において商品の生産過程や商業過程を支配していた人々と同一人である場合もありうえるけれども、しかしそれは事物の本質に属するものではない。むしろ、新結合、とくにそれを具現する企業や生産工場などは、その観念からいってもまた原則からいっても、単に旧いものにとって代わるのではなく、一応これと並んで現れるのである。なぜなら旧いものは概して自分自身の中から新しい大躍進をおこなう力をもたないからである。先に述べた例についていえば、鉄道(Eisenbahnen)を建設したものは一般に駅馬車の持ち主(Postmeister)ではなかったのである。この事情は単にわれわれの基本過程を特徴づけている非連続性に対してとくに明らかな光を投じ、前述の第一種の非連続性[すなわち、軌道の変更]のほかに、いわば第二種の非連続性[すなわち発展担当者の変更]をつくりだす出すばかりではなく、さらにその付随現象の経過をも支配するのである。」Schumpeter,J.A.(1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung, 2nd ed., p.101[邦訳 (1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、p.153]
カテゴリー: Schumpeter, イノベーション論
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Schumpeterの「革新」的経済活動における「生産」の主導性-「生産」主導的イノベーション論
シュンペーターは、下記のように、シュムペーターは欲求充足が生産活動の基準であるとしつつも、「通常」的経済活動と異なり、「革新」的経済活動では生産の側に主導権があり、生産の側が消費者に新しい欲望(neue Bedürfnisse)を教え込む、としている。すなわち、「通常」的経済活動では「消費者の欲求の充足」→「生産」というように欲求充足が生産活動を規定=主導しているのに対して,「革新」的経済活動では「生産」→「消費者における新しい欲求の生成」というように生産機構が規定=主導している、としている。供給と需要が互いに独立した要因である場合には通常の意味における均衡状態が成立するが、生産が欲求充足を主導する結果としてそうした均衡状態が成立しないことになう。
「経済的観察は、欲求充足(Bedarfsbefriedigung)があらゆる生産活動の基準であり、そのときどきにい与えられる経済状態はこの側面から理解されなければならないという根本事実から出発するものであるとしても、経済における革新は、新しい欲望(Bedürfnisse)がまず消費者の間に自発的に現れ、その圧力によって生産機構(Produktionsapparat)の方向が変えられるというふうに行われるのではなく-われわれはこのような因果関係の出現を否定するものではないが、ただそれはわれわれになんら問題を提起するものではない-、むしろ新しい欲望が生産の側から消費者に教え込まれ、したがってイニシアティヴは生産の側(Produktionsseite)にあるというふうにおこなわれるのがつねである。これが慣行の軌道における循環の完了と新しい事態の成立との間の多くの相違の一つである。すなわち、供給と需要とをたがいに原理的に独立した要因として対立させることは、第一の場合には許されるが、第二の場合には許されない。この結果として、第一の場合の意味における均衡状態は第二の場合にはありえないことになる。」
Schumpeter,J.A.(1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung, 2nd ed., pp.99-100[邦訳 (塩野谷祐一他訳,1977)『経済発展の理論』岩波文庫、上巻、pp.181-182,(1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、p.151)
Schumpeter,J.A.(1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung, 2nd ed., pp.99-100[邦訳 (塩野谷祐一他訳,1977)『経済発展の理論』岩波文庫、上巻、pp.181-182,(1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、p.151)
すなわち、同書(Schumpeter,1912,pp.16-17、岩波文庫,pp.45-46)の第1章「一定条件に制約された経済の循環」における下記の文章は、通常の経済的活動について論じているものであることに注意する必要がある。
事物の他の側面、すなわちわれわれがその「自然科学的」および社会的側面よりもはるかに深く生産の内面に立ち入ることのできる側面は、個々の生産の具体的目的である。経済する人間が生産に当って追及する目的、およびそもそもなぜ生産がおこなわれるかを説明する目的は、明らかにその刻印を生産の方法と大きさの上に残している。与えられた手段と客観的必然性の範囲内で、この目的が生産の存在および「なにを」「いかにして」生産するかを決定しているということを証明するためには、明らかになんの議論 も必要ではない。この目的は有用なもの(Brauchbarkeit)の創出(Erzeugung )、消費対象(Konsumtionsgegenständen)の創出にはかならない。交換のない経済においては、その経済内の消費にとって有用なものだけが問題となりうる。この場合においては、個々の経済主体は生産したものを消費するために、すなわちその欲望(Bedürfnisse )を充足する(befriedigen)ために生産する。したがって、明らかにこれらの欲望の種類と強度が実際の可能性の範囲内において生産を決定する。欲望は経済主体の経済行動にとって根拠であると同時に準則である。それは経済行動の原動力を表わすのである。与えられた外的条件と経済主体の欲望とは経済過程を決定する二つの要素であり、経済過程の結果を生み出すさいに協働する二つの要素である。すなわち、生産は欲望にしたがい、前者はいわば後者によって引張られている。まったく同じことが、必要な修正のもとで流通経済にもあてはまる。」
カテゴリー: Schumpeter, イノベーション論
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Schumpeterにおける「連続的な新結合」と「非連続的な新結合(neue Kombination)」 の区別-既存の経済循環内における連続的変化 vs 既存の経済循環を破壊する非連続的変化
「生産」=「モノや力の結合」(Kombination)
シュムペーターは、Schumpeter,J.A.(1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung, 2nd ed.[(塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳、1977)『経済発展の理論』岩波文庫頁、(塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳、1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店]において下記引用にあるように、生産を「いろいろな物や力を結合する」こととして捉えている。
Technisch wie wirtschaftlich betrachtet, „schafft” die Produktion nichts im naturgesetzlichen Sinne. Sie kann in beiden Fällen nur vorhandene Dinge und Vorgänge — oder „Kräfte” — beeinflussen, lenken. Wir brauchen nun für das Folgende einen Begriff, der dieses „Benützen” und „Beeinflussen” erfaßt. In „Benützen” liegt eine Menge verschiedenartiger Verwendungen der Güter, eine Menge von Modalitäten, sich den Dingen gegenüber zu verhalten. In „Beeinflussen” liegen alle Arten von örtlichen Veränderungen, von mechanischen, chemischen usw. Prozessen. Stets aber handelt es sich darum, etwas vom Standpunkte unserer Bedürfnisbefriedigung Anderes zu erzielen, als was wir vorfinden. Und stets handelt es sich darum, die gegenseitigen Beziehungen der Dinge und Kräfte zu verändern, Dinge und Kräfte zu vereinigen, die wir getrennt vorfinden, und Dinge und Kräfte aus ihrem bisherigen Zusammenhange herauszulösen.
生産は、技術的視点から見ても経済的視点から見ても、自然法則的意味においては何も「創造」しない。生産は、どちらの視点から見ても、既存のモノおよびプロセス(すなわち「力」)に影響を与え、[一定の方向に]誘導できるだけである。[既存のモノや力といった]これらを「活用する」、および、これらに「影響を与える」ということを理解するために、以下のような概念[的理解]が必要である。「活用する」(Benützen)ということの中には、[様々な]財に関する多種多様な数多くの使用(Verwendungen)形態、モノの取り扱われ方に関する数多くの様相が含まれている。「影響を与える」(Beeinflussen)ということの中には、場所的移動、機械的変化、化学的変化などあらゆる種類の変化が含まれている。しかし[重要なことは]、欲求充足という視点から、我々が現に見ている[既存の]モノとは(als was wir vorfinden)異なったものを創り出す(erzielen)ことである。すなわち、それは常に、もろもろのモノおよび力の相互関係(gegenseitigen Beziehungen)を変えること、[すなわち]分離している(die wir getrennt vorfinden)モノや力を結合したり、[現に結びついている]モノや力をそれまでの関係(ihrem bisherigen Zusammenhang)から解放したりすることである。
生産は、技術的視点から見ても経済的視点から見ても、自然法則的意味においては何も「創造」しない。生産は、どちらの視点から見ても、既存のモノおよびプロセス(すなわち「力」)に影響を与え、[一定の方向に]誘導できるだけである。[既存のモノや力といった]これらを「活用する」、および、これらに「影響を与える」ということを理解するために、以下のような概念[的理解]が必要である。「活用する」(Benützen)ということの中には、[様々な]財に関する多種多様な数多くの使用(Verwendungen)形態、モノの取り扱われ方に関する数多くの様相が含まれている。「影響を与える」(Beeinflussen)ということの中には、場所的移動、機械的変化、化学的変化などあらゆる種類の変化が含まれている。しかし[重要なことは]、欲求充足という視点から、我々が現に見ている[既存の]モノとは(als was wir vorfinden)異なったものを創り出す(erzielen)ことである。すなわち、それは常に、もろもろのモノおよび力の相互関係(gegenseitigen Beziehungen)を変えること、[すなわち]分離している(die wir getrennt vorfinden)モノや力を結合したり、[現に結びついている]モノや力をそれまでの関係(ihrem bisherigen Zusammenhang)から解放したりすることである。
[Schumpeter(1926)p.16-17, (1977訳)pp.49-50, (1980改訳)pp.54-55,なお[]内は引用に際して補った語句である。(1977訳)および (1980改訳)の訳では、beeinflussen, lenkenの個所が「作用し、これを支配する」と訳されているが、beeinflusseの対象の一つとしてプロセス(すなわち「力」)が挙げられているため「作用し」ではなく、「影響を及ぼし」と訳を変更している。またlenkenを「支配する」と訳すのはあまりにも意味が強すぎると思われるので、「影響を及ぼし」との対応もあり、「誘導する」と訳を変更している。
以下においても、日本語訳に関して断りなく訳を一部変更しているので、論文等での引用の際には注意されたい。]
以下においても、日本語訳に関して断りなく訳を一部変更しているので、論文等での引用の際には注意されたい。]
Technisch wie wirtschaftlich betrachtet heißt also Produzieren die in unserm Bereiche vorhandenen Dinge und Kräfte kombinieren.・・・Jeder konkrete Produktionsakt verkörpert für uns, ist für uns eine solche Kombination.
生産とは、技術的視点から見ても経済的視点から見ても、われわれの領域内に現に存在するモノや力を組み合わせることである。・・・すべての具体的生産行為は、我々にとって、そうした結合(Kombination)である。
[Schumpeter(1926)p.17, (1977訳)p.50,(1980改訳)p.55]
生産とは、技術的視点から見ても経済的視点から見ても、われわれの領域内に現に存在するモノや力を組み合わせることである。・・・すべての具体的生産行為は、我々にとって、そうした結合(Kombination)である。
[Schumpeter(1926)p.17, (1977訳)p.50,(1980改訳)p.55]
「モノや力の結合」を「生産」として捉えるSchumpeterの視点からは、新しい生産物を創りだすことや、新しい生産方法を創り出すことは、「モノや力の結合の仕方を変更する」ということに他ならない。
Produzieren heißt die in unserem Bereiche vorhandenen Dinge und Kräfte kombinieren (vgl. oben S. 17). Anderes oder anders produzieren heißt diese Dinge und Kräfte anders kombinieren.
生産とは、われわれの領域内に現に存在するモノや力を組み合わせることである(p.17参照)。異なる生産物、あるいは、異なる仕方での生産とは、モノや力をそれまでとは異なる仕方で結合するということである
[Schumpeter(1926)p.100, (1977訳)p.182,(1980改訳)p.151]
生産とは、われわれの領域内に現に存在するモノや力を組み合わせることである(p.17参照)。異なる生産物、あるいは、異なる仕方での生産とは、モノや力をそれまでとは異なる仕方で結合するということである
[Schumpeter(1926)p.100, (1977訳)p.182,(1980改訳)p.151]
「生産」=「モノや力の結合の変更」というそうした考え方に基づき、イノベーション概念が「新結合」という位相で捉えられるのであるが、ここで一つ注意すべきことがある。すなわち、すべての新結合がイノベーションであるわけではない、「モノや力の結合の仕方の変更」一般がイノベーションをもたらすわけではない、ということである。シュムペーターは、モノや力の結合の仕方の変更に関して連続的=漸次的(kontinuierlich)な変化と、既存の経済循環プロセスを打ち壊し新しい経済循環プロセスを打ち立てるような非連続的(diskontinuierlich)な変化に2種類があるとした上で、記述上の便宜的理由から前者を原則として無視し、後者のみを「新結合」として挙げていることに注意する必要がある。
Schumpeterが自らの考察の対象として重要だと考えているのは、「既存の経済循環プロセスの中における、小さな歩み(kleine Schritte)を積み重ねる連続的=漸次的な変化」ではなく、「既存の経済循環プロセスを打ち壊し新しい経済循環プロセスを打ち立てるような非連続的な変化」の方なのである。
Soweit die neue Kombination von der alten aus mit der Zeit durch kleine Schritte, kontinuierlich anpassend, erreicht werden kann, liegt gewiß Veränderung, eventuell Wachstum vor, aber weder ein neues der Gleichgewichtsbetrachtung entrücktes Phänomen, noch Entwicklung in unserm Sinn. Soweit das nicht der Fall ist, sondern die neue Kombination nur diskontinuierlich auftreten kann oder tatsächlich auftritt, entstehen die der letztern charakteristischen Erscheinungen. Aus Gründen darstellerischer Zweckmäßigkeit meinen wir fortan nur diesen Fall, wenn wir von neuen Kombinationen von Produktionsmitteln sprechen. Form und Inhalt der Entwicklung in unserem Sinn ist dann gegeben durch die Definition: Durchsetzung neuer Kombinationen.
新しい組み合わせが、古い組み合わせから時間をかけて小さなステップを踏んで到達し、継続的に適応していくことができる場合においても、確かに変化(Veränderung)があり、成長(Wachstum)もありうる。しかしそれは、均衡[論]の見方では捉えられない新現象(ein neues der Gleichgewichtsbetrachtung entrücktes Phänomen)でもなければ、[古い経済循環プロセスを破壊し新しい経済循環プロセスを打ち立てる、というような]われわれの意味での発展(Entwicklung in unserm Sinn)でもない。そうではなく、新しい組み合わせが非連続的にしか起こらない場合、また実際に非連続的に起こる場合に限り、発展に特有な現象が成立する。記述の便宜上の理由から(Aus Gründen darstellerischer Zweckmäßigkeit)、以下において生産手段の新結合について語るときには、もっぱらこのような場合のみを意味することにする。
[Schumpeter(1926)p.100, (1977訳)p.182,(1980改訳)p.152]
新しい組み合わせが、古い組み合わせから時間をかけて小さなステップを踏んで到達し、継続的に適応していくことができる場合においても、確かに変化(Veränderung)があり、成長(Wachstum)もありうる。しかしそれは、均衡[論]の見方では捉えられない新現象(ein neues der Gleichgewichtsbetrachtung entrücktes Phänomen)でもなければ、[古い経済循環プロセスを破壊し新しい経済循環プロセスを打ち立てる、というような]われわれの意味での発展(Entwicklung in unserm Sinn)でもない。そうではなく、新しい組み合わせが非連続的にしか起こらない場合、また実際に非連続的に起こる場合に限り、発展に特有な現象が成立する。記述の便宜上の理由から(Aus Gründen darstellerischer Zweckmäßigkeit)、以下において生産手段の新結合について語るときには、もっぱらこのような場合のみを意味することにする。
[Schumpeter(1926)p.100, (1977訳)p.182,(1980改訳)p.152]
そうした上でシュムペーターは、経済の非連続的な発展をもたらす「新結合の遂行」(Durchsetzung neuer Kombinationen)に関して、下記の5つの類型を挙げている。
1 新しい財貨、すなわち消費者の間でまだ知られていない財貨(Gutes)、あるいは新しい品質の財貨の生産。
Herstellung eines neuen, d. h. dem Konsumentenkreise noch nicht vertrauten Gutes oder einer neuen Qualität eines Gutes.
Herstellung eines neuen, d. h. dem Konsumentenkreise noch nicht vertrauten Gutes oder einer neuen Qualität eines Gutes.
2 新しい生産方法、すなわち当該産業部門において実際上未知な生産方法の導入。これはけっして科学的に新しい発見にもとづく必要はなく、商品の商業的取り扱いに関する新しい方法をも含んでいる。
Einführung einer neuen, d. h. dem betreffenden Industriezweig noch nicht praktisch bekannten Produktionsmethode, die keineswegs auf einer wissenschaftlich neuen Entdeckung zu beruhen braucht und auch in einer neuartigen Weise bestehen
kann mit einer Ware kommerziell zu verfahren. (以上、原著p.100)
3 新しい販路の開拓、すなわち当該国の当該産業部門が従来参加していなかった市場の開拓。ただしこの市場が既存のものであるかどうかは問わない。
Erschließung eines neuen Absatzmarktes, d. h. eines Marktes, auf dem der betreffende Industriezweig des betreffenden Landes bisher noch nicht eingeführt war, mag dieser Markt schon vorher existiert haben oder nicht.
4 原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得。この場合においても、この供給源が既存のものであるか、――単に見逃していたのか、その獲得を不可能と見なしていたのか――あるいは初めて作り出されねばならないかは問わない。
Eroberung einer neuen Bezugsquelle von Rohstoffen oder Halbfabrikaten, wiederum: gleichgültig, ob diese Bezugsquelle schon vorher existierte. — und bloß sei es nicht beachtet wurde sei es für unzugänglich galt — oder ob sie erst geschaffen werden muß.
5 新しい組織の実現、すなわち独占的地位(たとえばトラスト化による)の形成あるいは独占の打破。
Durchführung einer Neuorganisation, wie Schaffung einer Monopolstellung (z. B. durch Vertrustung) oder Durchbrechen eines Monopols.
Schumpeter,J.A.(1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung, 2nd ed., pp.100-101[(塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳、1977)『経済発展の理論』岩波文庫、上183頁、(塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳、1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、p.152]
Schumpeterは、連続的変化と不連続的変化を次のように区別している。
「第1章の理論は経済生活を年々歳々本質的に同一軌道にある「循環」の観点から描写したものである-これは動物的有機体の血液循環に比較することができよう。ところでこの経済循環およびきどうそのもの-単にその個々の局面だけでなく-は変化する。そして血液循環との対比はここで用をなさなくなる。なぜなら、血液循環も有機体の成長や衰退の過程において変化するけれども、それはただ連続的に、すなわち、与えられるいかなる微少量よりもさらに微少な刻みをもて、しかも常に同じ枠の中で変化するに過ぎないからである。経済という生命もまた同様な変化を経験するが、しかしさらにそれ以外にたとえば駅馬車から汽車への変化のように。純粋に経済的-「体系内部的」-なものでありながら、連続的にはおこなわれず。その枠や慣行の軌道そのものを変更し、「循環」からは理解できないような他の種類の変動を経験する。このような種類の変動およびその結果として生ずる現象こそわれわれの問題設定の対象となるものである。」Schumpeter,J.A.(1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung, 2nd ed.,pp.93-94[邦訳 (1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、pp.143-144、強調は引用者]
「第1章の理論は経済生活を均衡状態に向かう経済の傾向という観点から描写したものであり、この傾向は剤の価格と数量とを決定する手段をわれわれに与え、そのときどきに存在する予見への適応として示される。・・・理念上の経済的均衡状態の内容は、与件が変化するために、まさに変化するのである。そして理論はこの与件の変化に対して無能力ではない。・・・しかしこれらの方法も、もし経済生活そのものがそれ自身の与件を急激に変えるような場合には、なんの役にも立たない・・・鉄道の建設がここでも例証に役立つであろう。時間的に無数の小さな歩みを通じておこなわれる連続的適応によって、小規模の小売店から大規模な、例えば百貨店が形成されるというような連続的変化は静態的考察の対象となる。しかし、最も広い意味での生産の領域における急激な、あるいは一つの計画にしたがって生まれた根本的な変化についてはそうはいかない。なぜなら、静態的考察方法はその微分的方法に基づく手段によってはこのような変化の結果を正確に予測することができないばかりでなく、そのような生産革命の発生やそれにともなって現れる現象を明らかにすることができないからである。静態的考察方法はこれらの現象が起こってしまった場合の新しい均衡状態を研究することができるにすぎない。」Schumpeter,J.A.(1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung, 2nd ed.,pp.94-95[邦訳 (1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、p.144、強調は引用者]
In the first edition of this book, I calledit ‘’dynamics’’ Butit is preferable to avoid this expression here, since it so easily leads us astray because of the associations which attach themselves to its various meanings. Better, then, to say simply what w’e mean economic life changes, it changes partly because of changes in the data, to which it tends to adapt itself. But this is not the only kind of economic change, there is another which is not accounted for by influence on the data from without, but which arises from within the system, and this kind of change is the cause of so many important economic phenomena that it seems worth while to build a theory for it, and, in order to doso, to isolate it from all the other factors of change. The author begs to add another more exact definition, which he is in the habit of using what we are about to consider is that kind of change arising from within the system which so displaces its equilibrium point that the new one cannot be reached from the old one by infinitesimal steps. Add successively as many mail coaches as you please, you will never get a railway thereby.
「われわれが取り扱おうとしている変化は経済体系の内部から生ずるものであり、それはその体系の均衡点を動かすものであって、しかも新しい均衡点は古い均衡点からの微分的な歩みによっては到達しえないようなものである。郵便馬車(mail coach)をどれだけ好きなだけ増加させても、それによって鉄道(railway)を得ることはできないであろう。」Schumpeter,J.A.(1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung, 2nd ed.[邦訳 (1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、p.150の英訳注、強調は引用者]
カテゴリー: Schumpeter, イノベーション論
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Schumpeterのイノベーション論関係資料
[Shumpeter関係基本サイト]
von Ulrich Hedt(2020) SCHUMPETER-ARCHIV, 21. September 2020
https://schumpeter.info/
https://schumpeter.info/
著作目録、主要著作のデジタルデータなどが収録されている。
[Shumpeterのイノベーション論関係の基本的著作としてのTheorie der wirtschaftlichen Entwicklungの版]
第1版
Shumpeter, J.A. (1911) Theorie der wirtschaftlichen Entwicklung, 1. Auflage.
http://www.digibess.it/fedora/repository/object_download/openbess:TO043-00855/PDF/openbess_TO043-00855.pdf
Shumpeter, J.A. (1911) Theorie der wirtschaftlichen Entwicklung, 1. Auflage.
http://www.digibess.it/fedora/repository/object_download/openbess:TO043-00855/PDF/openbess_TO043-00855.pdf
第2版
Shumpeter, J.A. (1926) Theorie der wirtschaftlichen Entwicklung, 2. Auflage.[邦訳 (塩野谷祐一•中山伊知郎•東畑精一訳、1977)『経済発展の理論』岩波文庫、上下2冊。(塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳、1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、546pp.+16pp.。]
第2版の英語訳
Schumpeter, J.A. (1934) The Theory of Economic Development: An Inquiry into Profits, Capital, Credit, Interest and the Business Cycle, Harvard University Press, Cambridge, Mass.
https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.187354
第7版
Shumpeter, J.A. (1926, 1987) Theorie der wirtschaftlichen Entwicklung, 7. Auflage. Duncker & Humblot, Berlin.
https://www.mises.at/static/literatur/Buch/schumpeter-theorie-der-wirtschaftlichen-entwicklung-eine-untersuchung-ueber-unternehmergewinn-kapital-kredit-zins-und-den-konjunkturzyklus.pdf
[Shumpeterのイノベーション論関係論文]
- KOBAYASHI,Daisuke (2015) Invention and Development: Toward Schumpeter’s early innovation theory,Discussion Paper, Series A, No.2015-292,Hokkaido University, 10pp
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/60236/3/DPA292new.pdf - 小林大州介(2015)「単線的発展論の超克としての初期イノベーション理論」『経済社会学会年報』37, pp.203-212
https://www.jstage.jst.go.jp/article/soes/37/0/37_203/_article/-char/ja - 小林大州介(2016)「イノベーションと人工物進化 - シュンペーターとネオ・シュンペーター学派の理論的再考を通じて」平成27年度北海道大学大学院経済学研究科学位請求論文
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/62258/1/Daisuke_Kobayashi.pdf - Yagi, K. (2008) “Schumpeter in the Harvard Yard: inventions, innovations and growth,” in Yuichi Shionoya and Tamotsu Nishizawa (eds.) Marshall and Schumpeter on Evolution: Economic Sociology of Capitalist Development, Edward Elgar, Cheltenham, UK / Northampton, MA, USA, pp. 204-222.
カテゴリー: Schumpeter, イノベーション論
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馬車から鉄道へのInnovationにおける連続性と非連続性
Schumpeterは、経済循環を実現する軌道、すなわち、ある特定の均衡状態(均衡点)へと向かう経済的傾向を連続的とするとともに、そうした均衡状態へと向かう連続的変化を取り扱うのが静態的考察方法である、としている。これに対して、経済循環を実現する軌道の変化、すなわち、古い均衡状態から新しい均衡状態への推移という非連続的変化を取り扱うのが動態的考察方法である、としている。
前者の経済循環を実現する軌道は、「時間的に無数の小さな歩みを通じておこなわれる連続的変化(Kontinuierliche Veränderungen)」として微分的方法(Infinitesimalmethode)によって取り扱うことができる。[Schumpeter,J.A.(1926) 原書第2版 pp.94-95, 1980改訳,p.145,邦訳ではVeränderungenを「適応」と訳しているが、引用に際して「変化」に訂正した。]例えば、「小規模の小売店から大規模な、たとえば百貨店が形成される」といったような変化はそうした均衡状態へと向かう連続的変化である。
後者の経済循環を実現する軌道の変化、すなわち、古い均衡状態から新しい均衡状態への推移は、生産的な革命(produktiver Revolutionen)として非連続的変化であり、微分的方法によっては取り扱うことができない。例えば、駅馬車システムから鉄道システムへのイノベーションは、ある均衡状態から別の均衡状態への変化として非連続的なのものである。
Schumpeterは、下記のように駅馬車システムから鉄道システムへのイノベーションを非連続を表す例として挙げている。
「駅馬車(Postkutsche)から鉄道(Eisenbahn)への変化のように、純粋に経済的なものでありながら、連続的にはおこなわれず、その枠や慣行の軌道そのものを変更し、「循環」からは理解できないような他の種類の変動を経験する」(引用者注:岩波書店版の訳書では、Eisenbahnが「汽車」と訳されているが、引用に際してここでは「鉄道」に訳語を変更した)(Schumpeter,J.A.(1926) 原書第2版 pp.93-94 :1977訳書 p.171:1980改訳 p.144)
「われわれが取り扱おうとしている変化は経済体系の内部から生ずるものであり、それはその体系の均衡点を動かすものであって、しかも新しい均衡点は古い均衡点からの微分的な歩みによっては到達しえないようなものである。郵便馬車(mail coaches)をいくら連続的に加えても、それによってけっして鉄道(railway)をうることはできないであろう。」Schumpeter,J.A.(1934) The Theory of economic Development, p.64[邦訳 (1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、p.150の英訳注、強調は引用者]
「われわれが取り扱おうとしている変化は経済体系の内部から生ずるものであり、それはその体系の均衡点を動かすものであって、しかも新しい均衡点は古い均衡点からの微分的な歩みによっては到達しえないようなものである。郵便馬車(mail coaches)をいくら連続的に加えても、それによってけっして鉄道(railway)をうることはできないであろう。」Schumpeter,J.A.(1934) The Theory of economic Development, p.64[邦訳 (1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、p.150の英訳注、強調は引用者]
しかしながら、駅馬車から鉄道へのイノベーションは,単純な非連続的イノベーションではない。駅馬車システムから鉄道システムへのイノベーション・プロセスには,Schumpeterが指摘するような非連続性とともに,下記に論じるような技術システム的連続性が存在する。
なおこの問題は、技術的には、走行路に関する「道路」から「鉄道」へのイノベーションとして捉えるのがより適切である。「道路」を利用するシステムとして、人力車、馬車、蒸気バス・蒸気自動車・電気自動車・ガソリン自動車などが存在しているのと同じく、「鉄道」を利用するシステムとして、人車鉄道、馬車鉄道、蒸気鉄道・電気鉄道・ディーゼル機関車鉄道、などが存在している。
システム | 技術システム1 | 技術システム2 | 技術システム3 | 技術システム4 |
名称 | 馬車 | 駅馬車 | 馬車鉄道 | 蒸気鉄道・電車鉄道 |
動力 | 馬 | 馬 | 馬 | 蒸気機関車・電車 |
走行路 | 道路 | 道路 | 鉄道 | 鉄道 |
駅システム | なし | あり | あり | あり |
上記の表で示したように、駅馬車システムと鉄道システムを単純に比較した場合には、技術的連続性は確かにない。しかしながら駅馬車システムと鉄道システムは、いわば光のスペクトルの両端であり、駅馬車システムから鉄道システムの途中には、馬車鉄道システムという中間項が存在する。駅馬車システムと鉄道システムは、イギリスで19世紀初頭に登場した馬車鉄道システムを介して、連続性を有しているのである。そのことは、東京馬車鉄道が東京電車鉄道へと1900年に社名変更した参考エピソードなどに示されている。
なお近代における駅馬車システムは、古代における駅伝制と技術的には同様のものである。日本における駅伝制は、馬車のがなく、馬と人のみによるものであったが、中国では馬車の利用もあった。中国ではもともとは駅とは騎馬のためのものであり、伝は車馬のためのものであった。唐の時代には、30里(約13.6km)ごとに駅が設置され、中国全土で1639駅が存在した。(中国では隋・唐の時代に国土が拡大したこともあり、運河や河川などの水路も駅伝制の交通システムの中に組み込まれた。唐では、1639駅の内、水路専用が260,水陸両用が86あった。)
鉄道レールは、蒸気機関車による鉄道システム以前に、馬車による鉄道システムで採用されていた。馬が牽引する車両を、鉄製のレールの上で走らせることで、未舗装の土製の道路の上を走らせるよりも、快適で効率的な輸送の実現を目的としたものであった。土製の道路の路面は、鉄製レールほどの平滑度がなかったし、雨が降った場合にはぬかるんで馬車の運行に支障をもたらしたからである。
[参考資料]
Shumpeter, J.A. (1926) Theorie der wirtschaftlichen Entwicklung, 2. Auflage.(邦訳,塩野谷祐一•中山伊知郎•東畑精一訳『経済発展の理論』岩波文庫,1977年)(塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳、1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店)
Shumpeter, J.A. (1926, 1987) Theorie der wirtschaftlichen Entwicklung, 7. Auflage. Duncker & Humblot, Berlin.
https://www.mises.at/static/literatur/Buch/schumpeter-theorie-der-wirtschaftlichen-entwicklung-eine-untersuchung-ueber-unternehmergewinn-kapital-kredit-zins-und-den-konjunkturzyklus.pdf
[参考エピソード]
馬車鉄道は日本では東京馬車鉄道が1882年に運行を開始し、全国に広まった。東京馬車鉄道は1900年に東京電車鉄道に社名変更をおこない、1903年に路面電車による電車化に取り組みはじめたが、その前年の1902年における乗客数は年間4220万にものぼった。(なお1900年の営業距離数は1万Kmであった。)
都電のレール間隔が馬車鉄道のレール間隔と同じとなったのは、東京電車鉄道が電化に際してそれまでの馬車鉄道のレールを利用して路面電車を走らせたためである。
都電のレール間隔が馬車鉄道のレール間隔と同じとなったのは、東京電車鉄道が電化に際してそれまでの馬車鉄道のレールを利用して路面電車を走らせたためである。
京王電鉄は、京王線の都電への乗り入れを計画していたことで京王線のレール間隔を都電と同じ1372mmとした。
小林拓矢(2018)「鉄道の「レールの幅」会社や路線でなぜ違う?-1つの会社で複数のレール幅がある場合も」東洋経済オンライン、2018年8月14日
https://toyokeizai.net/articles/-/233385?page=3
東京ふしぎ探検隊(2018)「東京の地下鉄、レール幅なぜ違う 直通巡り二転三転」2018/3/11
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO27809120X00C18A3000000?page=3
カテゴリー: Schumpeter, イノベーション論
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基礎研究の意義に関する社会的認識
イノベーションによる社会経済発展の源泉としての基礎科学
- ウオーターマン、A. T.「[National Science Foundation (1960) Proceedings of a Conference on Academic and Industrial Basic Researchの]日本語版の発刊を祝って」
「科学技術が経済発展の原動力として大きな役割を果たしている事実については,日本はもちろんアメリカにおいても最近関心がいっそう高まってきております.とくに近年,驚異的成長を遂げた日本の経済を見ますと発展の重要な原動力の一つとして,科学と技術の成果が工業生産に結集されたことをあげなければなりません.また,このような技術革新のモチベイションも,研究開発に必要な諸経費も,日本の産業界によって主に生み出され賄われたことをあわせて特記する必要があると思っています.日本と同じように,近年におけるアメリカの経済発展も,研究開発の成果から新しい製品や新しい製造工程がつぎつぎに生み出された結果によるものであります.
基礎研究は,日本でもアメリカでも,昔から主に大学の科学者•技術者によって行なわれてきました.産業界が新しい製品を開発したり新しい製造工程を生み出すためには,基礎研究が大切であってその成果が長い間に実を結ぶという認識が最近,日本でもアメリカでも高まってきております.」National Science Foundation(館林晶平訳、1965)『技術革新と基礎研究』山海堂
本文章を執筆したウオーターマン、A. T.は、1951年から1963年7月までアメリカ大統領府国立科学財団(National Science Foundation)の長官を務めた人物である。 - 文部科学省基礎科学力の強化に関するタスクフォース(2017)『基礎科学力の強化に向けて-「三つの危機」を乗り越え、科学を文化に-(議論のまとめ)【本文、参考資料】』p.1
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2017/06/07/1384930_02_1.pdf
「基礎科学は、新たな知を創出、蓄積し持続的なイノベーションによる社会経済の発展の源泉となるものであり、その振興が極めて重要であることは論を俟たない。」
文化としての学術研究・基礎研究-短期的有用性とは異なる
「我が国は、科学技術の発展を国の繁栄の礎と政策的に位置付けているが、1.で記した学術研究・基礎研究の意義について社会の各界、国民一人一人のレベルで理解され、浸透しているとは言い難い。研究の価値について、すぐに役に立つか否かという尺度で論じる意識・価値観は依然として根強く、その半面、真理を探究する営みそのものを文化として位置づけ、十分な価値を認めるには至っていない。」文部科学省基礎科学力の強化に関するタスクフォース(2017)『基礎科学力の強化に向けて-「三つの危機」を乗り越え、科学を文化に-(議論のまとめ)【本文、参考資料】』p.5
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2017/06/07/1384930_02_1.pdf
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2017/06/07/1384930_02_1.pdf
イノベーションによる社会的課題・経済的課題の解決には科学技術イノベーションが不可欠、イノベーションの源泉としての学術研究・基礎研究
「世界的に先例のない少子高齢化とそれに伴う人口減少が進む我が国は、社会的・経済的な課題を多数抱えており、これらを解決し、国民生活を豊かにするためには、社会変革をもたらす科学技術イノベーションが不可欠である。また、我が国が科学技術イノベーションを持続的に創出するためには、人材、知、資金といった基盤的な力の強化と、世界に広がる知的資源を迅速かつ効果的に活用していく仕組みの構築が必要である。基本計画は、こうした認識に立ちつつ、学術研究・基礎研究を「イノベーションの源泉」として位置づけ、その推進を重視する方針を示すとともに、これにかかわる達成目標(総論文数の増加、総論文数に占める被引用回数トップ10%論文数の割合を基本計画期間中に10%等)を掲げている。」文部科学省基礎科学力の強化に関するタスクフォース(2017)『基礎科学力の強化に向けて-「三つの危機」を乗り越え、科学を文化に-(議論のまとめ)【本文、参考資料】』p.6
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2017/06/07/1384930_02_1.pdf
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2017/06/07/1384930_02_1.pdf
新たな社会を設計し、価値創造の源泉となる「知」の創造
新たな社会を設計し、その社会で新たな価値創造を進めていくためには、多様な「知」が必要である。特にSociety 5.0 への移⾏において、新たな技術を社会で活⽤するにあたり⽣じるELSI24に対応するためには、俯瞰的な視野で物事を捉える必要があり、⾃然科学のみならず、⼈⽂・社会科学も含めた「総合知」を活⽤できる仕組みの構築が求められている。
また、「知」は、⾮連続な変化に対応し、社会課題を解決するイノベーションの創出の源泉である。研究者の内在的な動機に基づき、新しい現象の発⾒や解明、新概念や価値観の提⽰を⾏うことで、フロンティアを切り拓いていく必要がある。基礎研究・学術研究をはじめとした多様な研究の蓄積があり、その積み重ねの結果として、時に独創的な成果が創出され、世界を変えるような新技術や新しい知⾒が⽣まれる。」『第6期科学技術・イノベーション基本計画』p.14
https://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/6honbun.pdf
また、「知」は、⾮連続な変化に対応し、社会課題を解決するイノベーションの創出の源泉である。研究者の内在的な動機に基づき、新しい現象の発⾒や解明、新概念や価値観の提⽰を⾏うことで、フロンティアを切り拓いていく必要がある。基礎研究・学術研究をはじめとした多様な研究の蓄積があり、その積み重ねの結果として、時に独創的な成果が創出され、世界を変えるような新技術や新しい知⾒が⽣まれる。」『第6期科学技術・イノベーション基本計画』p.14
https://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/6honbun.pdf
研究開発費ランキング
Strategy&「2018年グローバル・イノベーション調査」
https://www.strategyand.pwc.com/jp/ja/publications/innovation1000.html
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Strategy&(2018) 「2018年グローバル・イノベーション1000調査結果概要」2018.10.30
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