生産は、技術的視点から見ても経済的視点から見ても、自然法則的意味においては何も「創造」しない。生産は、どちらの視点から見ても、既存のモノおよびプロセス(すなわち「力」)に影響を与え、[一定の方向に]誘導できるだけである。[既存のモノや力といった]これらを「活用する」、および、これらに「影響を与える」ということを理解するために、以下のような概念[的理解]が必要である。「活用する」(Benützen)ということの中には、[様々な]財に関する多種多様な数多くの使用(Verwendungen)形態、モノの取り扱われ方に関する数多くの様相が含まれている。「影響を与える」(Beeinflussen)ということの中には、場所的移動、機械的変化、化学的変化などあらゆる種類の変化が含まれている。しかし[重要なことは]、欲求充足という視点から、我々が現に見ている[既存の]モノとは(als was wir vorfinden)異なったものを創り出す(erzielen)ことである。すなわち、それは常に、もろもろのモノおよび力の相互関係(gegenseitigen Beziehungen)を変えること、[すなわち]分離している(die wir getrennt vorfinden)モノや力を結合したり、[現に結びついている]モノや力をそれまでの関係(ihrem bisherigen Zusammenhang)から解放したりすることである。
以下においても、日本語訳に関して断りなく訳を一部変更しているので、論文等での引用の際には注意されたい。]
生産とは、技術的視点から見ても経済的視点から見ても、われわれの領域内に現に存在するモノや力を組み合わせることである。・・・すべての具体的生産行為は、我々にとって、そうした結合(Kombination)である。
[Schumpeter(1926)p.17, (1977訳)p.50,(1980改訳)p.55]
生産とは、われわれの領域内に現に存在するモノや力を組み合わせることである(p.17参照)。異なる生産物、あるいは、異なる仕方での生産とは、モノや力をそれまでとは異なる仕方で結合するということである
[Schumpeter(1926)p.100, (1977訳)p.182,(1980改訳)p.151]
「生産」=「モノや力の結合の変更」というそうした考え方に基づき、イノベーション概念が「新結合」という位相で捉えられるのであるが、ここで一つ注意すべきことがある。すなわち、すべての新結合がイノベーションであるわけではない、「モノや力の結合の仕方の変更」一般がイノベーションをもたらすわけではない、ということである。シュムペーターは、モノや力の結合の仕方の変更に関して連続的=漸次的(kontinuierlich)な変化と、既存の経済循環プロセスを打ち壊し新しい経済循環プロセスを打ち立てるような非連続的(diskontinuierlich)な変化に2種類があるとした上で、記述上の便宜的理由から前者を原則として無視し、後者のみを「新結合」として挙げていることに注意する必要がある。
Schumpeterが自らの考察の対象として重要だと考えているのは、「既存の経済循環プロセスの中における、小さな歩み(kleine Schritte)を積み重ねる連続的=漸次的な変化」ではなく、「既存の経済循環プロセスを打ち壊し新しい経済循環プロセスを打ち立てるような非連続的な変化」の方なのである。
新しい組み合わせが、古い組み合わせから時間をかけて小さなステップを踏んで到達し、継続的に適応していくことができる場合においても、確かに変化(Veränderung)があり、成長(Wachstum)もありうる。しかしそれは、均衡[論]の見方では捉えられない新現象(ein neues der Gleichgewichtsbetrachtung entrücktes Phänomen)でもなければ、[古い経済循環プロセスを破壊し新しい経済循環プロセスを打ち立てる、というような]われわれの意味での発展(Entwicklung in unserm Sinn)でもない。そうではなく、新しい組み合わせが非連続的にしか起こらない場合、また実際に非連続的に起こる場合に限り、発展に特有な現象が成立する。記述の便宜上の理由から(Aus Gründen darstellerischer Zweckmäßigkeit)、以下において生産手段の新結合について語るときには、もっぱらこのような場合のみを意味することにする。
[Schumpeter(1926)p.100, (1977訳)p.182,(1980改訳)p.152]
Herstellung eines neuen, d. h. dem Konsumentenkreise noch nicht vertrauten Gutes oder einer neuen Qualität eines Gutes.
2 新しい生産方法、すなわち当該産業部門において実際上未知な生産方法の導入。これはけっして科学的に新しい発見にもとづく必要はなく、商品の商業的取り扱いに関する新しい方法をも含んでいる。
Einführung einer neuen, d. h. dem betreffenden Industriezweig noch nicht praktisch bekannten Produktionsmethode, die keineswegs auf einer wissenschaftlich neuen Entdeckung zu beruhen braucht und auch in einer neuartigen Weise bestehen
kann mit einer Ware kommerziell zu verfahren. (以上、原著p.100)
3 新しい販路の開拓、すなわち当該国の当該産業部門が従来参加していなかった市場の開拓。ただしこの市場が既存のものであるかどうかは問わない。
Erschließung eines neuen Absatzmarktes, d. h. eines Marktes, auf dem der betreffende Industriezweig des betreffenden Landes bisher noch nicht eingeführt war, mag dieser Markt schon vorher existiert haben oder nicht.
4 原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得。この場合においても、この供給源が既存のものであるか、――単に見逃していたのか、その獲得を不可能と見なしていたのか――あるいは初めて作り出されねばならないかは問わない。
Eroberung einer neuen Bezugsquelle von Rohstoffen oder Halbfabrikaten, wiederum: gleichgültig, ob diese Bezugsquelle schon vorher existierte. — und bloß sei es nicht beachtet wurde sei es für unzugänglich galt — oder ob sie erst geschaffen werden muß.
5 新しい組織の実現、すなわち独占的地位(たとえばトラスト化による)の形成あるいは独占の打破。
Durchführung einer Neuorganisation, wie Schaffung einer Monopolstellung (z. B. durch Vertrustung) oder Durchbrechen eines Monopols.
Schumpeter,J.A.(1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung, 2nd ed., pp.100-101[(塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳、1977)『経済発展の理論』岩波文庫、上183頁、(塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳、1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、p.152]
「第1章の理論は経済生活を均衡状態に向かう経済の傾向という観点から描写したものであり、この傾向は剤の価格と数量とを決定する手段をわれわれに与え、そのときどきに存在する予見への適応として示される。・・・理念上の経済的均衡状態の内容は、与件が変化するために、まさに変化するのである。そして理論はこの与件の変化に対して無能力ではない。・・・しかしこれらの方法も、もし経済生活そのものがそれ自身の与件を急激に変えるような場合には、なんの役にも立たない・・・鉄道の建設がここでも例証に役立つであろう。時間的に無数の小さな歩みを通じておこなわれる連続的適応によって、小規模の小売店から大規模な、例えば百貨店が形成されるというような連続的変化は静態的考察の対象となる。しかし、最も広い意味での生産の領域における急激な、あるいは一つの計画にしたがって生まれた根本的な変化についてはそうはいかない。なぜなら、静態的考察方法はその微分的方法に基づく手段によってはこのような変化の結果を正確に予測することができないばかりでなく、そのような生産革命の発生やそれにともなって現れる現象を明らかにすることができないからである。静態的考察方法はこれらの現象が起こってしまった場合の新しい均衡状態を研究することができるにすぎない。」Schumpeter,J.A.(1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung, 2nd ed.,pp.94-95[邦訳 (1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、p.144、強調は引用者]
In the first edition of this book, I calledit ‘’dynamics’’ Butit is preferable to avoid this expression here, since it so easily leads us astray because of the associations which attach themselves to its various meanings. Better, then, to say simply what w’e mean economic life changes, it changes partly because of changes in the data, to which it tends to adapt itself. But this is not the only kind of economic change, there is another which is not accounted for by influence on the data from without, but which arises from within the system, and this kind of change is the cause of so many important economic phenomena that it seems worth while to build a theory for it, and, in order to doso, to isolate it from all the other factors of change. The author begs to add another more exact definition, which he is in the habit of using what we are about to consider is that kind of change arising from within the system which so displaces its equilibrium point that the new one cannot be reached from the old one by infinitesimal steps. Add successively as many mail coaches as you please, you will never get a railway thereby.
「われわれが取り扱おうとしている変化は経済体系の内部から生ずるものであり、それはその体系の均衡点を動かすものであって、しかも新しい均衡点は古い均衡点からの微分的な歩みによっては到達しえないようなものである。郵便馬車(mail coach)をどれだけ好きなだけ増加させても、それによって鉄道(railway)を得ることはできないであろう。」Schumpeter,J.A.(1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung, 2nd ed.[邦訳 (1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、p.150の英訳注、強調は引用者]