科学・技術関連統計データ

科学技術指標2023』の下記項目で使用されているすべての表がエクセルでダウンロードできるようになっている。

第1章 研究開発費
第2章 研究開発人材
第3章 高等教育と科学技術人材
第4章 研究開発のアウトプット
第5章 科学技術とイノベーション
参考統計
 
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Schmpeterにおける「新結合の遂行」に関わる5つの類型

シュムペーターは、経済の非連続的な発展をもたらす「新結合の遂行」(Durchsetzung neuer Kombinationen)に関して、下記の5つの類型を挙げている。
 
1 新しい財貨、すなわち消費者の間でまだ知られていない財貨(Gutes)、あるいは新しい品質の財貨の生産。
Herstellung eines neuen, d. h. dem Konsumentenkreise noch nicht vertrauten Gutes oder einer neuen Qualität eines Gutes.

2 新しい生産方法、すなわち当該産業部門において実際上未知な生産方法の導入。これはけっして科学的に新しい発見にもとづく必要はなく、商品の商業的取り扱いに関する新しい方法をも含んでいる。
Einführung einer neuen, d. h. dem betreffenden Industriezweig noch nicht praktisch bekannten Produktionsmethode, die keineswegs auf einer wissenschaftlich neuen Entdeckung zu beruhen braucht und auch in einer neuartigen Weise bestehen
kann mit einer Ware kommerziell zu verfahren. (以上、原著p.100)

3 新しい販路の開拓、すなわち当該国の当該産業部門が従来参加していなかった市場の開拓。ただしこの市場が既存のものであるかどうかは問わない。
Erschließung eines neuen Absatzmarktes, d. h. eines Marktes, auf dem der betreffende Industriezweig des betreffenden Landes bisher noch nicht eingeführt war, mag dieser Markt schon vorher existiert haben oder nicht.

4 原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得。この場合においても、この供給源が既存のものであるか、――単に見逃していたのか、その獲得を不可能と見なしていたのか――あるいは初めて作り出されねばならないかは問わない。
Eroberung einer neuen Bezugsquelle von Rohstoffen oder Halbfabrikaten, wiederum: gleichgültig, ob diese Bezugsquelle schon vorher existierte. — und bloß sei es nicht beachtet wurde sei es für unzugänglich galt — oder ob sie erst geschaffen werden muß.

5 新しい組織の実現、すなわち独占的地位(たとえばトラスト化による)の形成あるいは独占の打破。
Durchführung einer Neuorganisation, wie Schaffung einer Monopolstellung (z. B. durch Vertrustung) oder Durchbrechen eines Monopols.

Schumpeter,J.A.(1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung, 2nd ed., pp.100-101[(塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳、1977)『経済発展の理論』岩波文庫、上183頁、(塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳、1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、p.152]

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Schumpeterにおける新結合 - 「いろいろなモノや力を結合する」こととしての生産

「生産」=「モノや力の結合」(Kombination)
シュムペーターは、Schumpeter,J.A.(1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung, 2nd ed.[(塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳、1977)『経済発展の理論』岩波文庫頁、(塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳、1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店]において下記引用にあるように、生産を「いろいろな物や力を結合する」こととして捉えている。
 
Technisch wie wirtschaftlich betrachtet, „schafft” die Produktion nichts im naturgesetzlichen Sinne. Sie kann in beiden Fällen nur vorhandene Dinge und Vorgänge — oder „Kräfte” — beeinflussen, lenken. Wir brauchen nun für das Folgende einen Begriff, der dieses „Benützen” und „Beeinflussen” erfaßt. In „Benützen” liegt eine Menge verschiedenartiger Verwendungen der Güter, eine Menge von Modalitäten, sich den Dingen gegenüber zu verhalten. In „Beeinflussen” liegen alle Arten von örtlichen Veränderungen, von mechanischen, chemischen usw. Prozessen. Stets aber handelt es sich darum, etwas vom Standpunkte unserer Bedürfnisbefriedigung Anderes zu erzielen, als was wir vorfinden. Und stets handelt es sich darum, die gegenseitigen Beziehungen der Dinge und Kräfte zu verändern, Dinge und Kräfte zu vereinigen, die wir getrennt vorfinden, und Dinge und Kräfte aus ihrem bisherigen Zusammenhange herauszulösen.
生産は、技術的視点から見ても経済的視点から見ても、自然法則的意味においては何も「創造」しない。生産は、どちらの視点から見ても、既存のモノおよびプロセス(すなわち「力」)に影響を与え、[一定の方向に]誘導できるだけである。[既存のモノや力といった]これらを「活用する」、および、これらに「影響を与える」ということを理解するために、以下のような概念[的理解]が必要である。「活用する」(Benützen)ということの中には、[様々な]財に関する多種多様な数多くの使用(Verwendungen)形態、モノの取り扱われ方に関する数多くの様相が含まれている。「影響を与える」(Beeinflussen)ということの中には、場所的移動、機械的変化、化学的変化などあらゆる種類の変化が含まれている。しかし[重要なことは]、欲求充足という視点から、我々が現に見ている[既存の]モノとは(als was wir vorfinden)異なったものを創り出す(erzielen)ことである。すなわち、それは常に、もろもろのモノおよび力の相互関係(gegenseitigen Beziehungen)を変えること、[すなわち]分離している(die wir getrennt vorfinden)モノや力を結合したり、[現に結びついている]モノや力をそれまでの関係(ihrem bisherigen Zusammenhang)から解放したりすることである。

[Schumpeter(1926)p.16-17, (1977訳)pp.49-50, (1980改訳)pp.54-55,なお[]内は引用に際して補った語句である。(1977訳)および (1980改訳)の訳では、beeinflussen, lenkenの個所が「作用し、これを支配する」と訳されているが、beeinflusseの対象の一つとしてプロセス(すなわち「力」)が挙げられているため「作用し」ではなく、「影響を及ぼし」と訳を変更している。またlenkenを「支配する」と訳すのはあまりにも意味が強すぎると思われるので、「影響を及ぼし」との対応もあり、「誘導する」と訳を変更している。
 以下においても、日本語訳に関して断りなく訳を一部変更しているので、論文等での引用の際には注意されたい。]
 
Technisch wie wirtschaftlich betrachtet heißt also Produzieren die in unserm Bereiche vorhandenen Dinge und Kräfte kombinieren.・・・Jeder konkrete Produktionsakt verkörpert für uns, ist für uns eine solche Kombination.
生産とは、技術的視点から見ても経済的視点から見ても、われわれの領域内に現に存在するモノや力を組み合わせることである。・・・すべての具体的生産行為は、我々にとって、そうした結合(Kombination)である。

[Schumpeter(1926)p.17, (1977訳)p.50,(1980改訳)p.55]
 
「モノや力の結合」を「生産」として捉えるSchumpeterの視点からは、新しい生産物を創りだすことや、新しい生産方法を創り出すことは、「モノや力の結合の仕方を変更する」ということに他ならない。
Produzieren heißt die in unserem Bereiche vorhandenen Dinge und Kräfte kombinieren (vgl. oben S. 17). Anderes oder anders produzieren heißt diese Dinge und Kräfte anders kombinieren.
生産とは、われわれの領域内に現に存在するモノや力を組み合わせることである(p.17参照)。異なる生産物、あるいは、異なる仕方での生産とは、モノや力をそれまでとは異なる仕方で結合するということである
[Schumpeter(1926)p.100, (1977訳)p.182,(1980改訳)p.151]
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「個別企業における全体最適化」追求としてのBusiness Process Reengineeringから、「複数企業にまたがる供給=調達プロセスの全体最適化」追求としてのSCMへ

Innovation vs Reengineering

業務プロセスの「最適化」追求としてのBusiness Process Reengineering(BPR)を、Innovationと位置づけるのは適切なのか?

 
「バブル経済崩壊後の構造的不況の続く日本企業は,なんとか現状を打破しようとサプライチェーン•マネジメント(Supply Chain Management SCM)に高い関心を寄せている。その背景には,大きな期待をかけて取り組んだリエンジニアリング(Business Process Reengineering : BPR)の行き詰まりや企業間のパートナリング(経営協力化)の必要性の増大,さらにはコラボレーション(協働)とアジリティ(俊敏性:迅速かっ柔軟)への関心の高まり,といった要因があるものと考えられる。
現在,なぜ多くの企業がこのようにBPRに対して行き詰まりを感じているのであろうか。その最大の理由は,BPRが「個別企業」の全体最適をめざしていることにあるように思われる。すなわち,企業間のパートナリングやコラボレーションによる,サプライチェーン(供給連鎖)全体としての競争優位が求められる今日,個別企業の最適化のみでは不十分となっているのである。
これに対してSCMは,従来は部門ごと,個別企業ごとの最適化にとどまっていた情報,物流,キャッシュに関わる業務の流れを,サプライチェーン全体の最適化へとシフトさせようとするマネジメント•コンセプトである。情報技術(Information Technology;以下,IT)の活用による情報共有と全体最適のための業務プロセスの改善•改革を通じて,サプライチェーン全体のキャッシュフロ一の効率を向上させるのである。」

山下洋史、諸上茂登、村田潔(2003)『グローバルSCM』有斐閣、はしがき,p.I

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米国における研究開発費の歴史的推移1960-2008

国における性格別研究開発費(基礎研究費・応用研究費・開発費)の歴史的推移1960-2008


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[数値データの出典]
Statistical Abstract of the United States: 2012Section 16. Science and Technology799 – Research and Development (R&D) Expenditures by Source and Objective
https://www2.census.gov/library/publications/2011/compendia/statab/131ed/tables/12s0799.xls

上記エクセルファイルには、研究開発費の源泉別(連邦政府、産業、大学、非営利組織、その他)、目的別(国防、宇宙開発、その他)の数値データも収録されている。

なお元データはU.S. National Science Foundation, National Patterns of R&D Resources, NSF 10-314, 2010.である。

1980-2008のデータは下記にも記載されている。
Statistical Abstract of the United States: 2012のp.799の“Table 799. Research and Development (R&D) Expenditures by Source and Objective”
Census.gov > Statistical Abstract of the United States: 2012 > Section 16. Science and Technology

米国における性格別研究開発費(基礎研究費・応用研究費・開発費)の割合の歴史的推移1960-2008


PDFファイルのダウンロードはこちら
[数値データの出典]前記出典に基づき%を算出した。

最近のデータは、The National Center for Science and Engineering Statistics (NCSES)やのWEBページに掲載されている。

例えば下記WEBページのTable4には、U.S. R&D expenditures, by type of R&D: Selected years, 1970–2021が掲載されている。

The National Center for Science and Engineering Statistics (2023) “U.S. R&D Increased by $51 Billion in 2020 to $717 Billion; Estimate for 2021 Indicates Further Increase to $792 Billion” NSF 23-320, January 4, 2023

Research and Development: U.S. Trends and International Comparisons, NSB 2022-5, April 28, 2022

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近代化と技術革新

高島善哉(1968)「近代化とは何か」高島善哉編(1968)『近代化の社会経済理論』第1章, p.20-「技術における近代化が近代化のシンボルとしてもっとも目につきやすく、具象的であることは否定できない。」
近代化といえば、何よりもまず技術における近代化と解するのが一般の常識である。技術革新という日常語がこの常識に照応する。いうまでもなく近代化は技術革新につきるものではない。けれども技術における近代化が近代化のシンボルとしてもっとも目につきやすく、具象的であることは否定できない。そればかりでなく、近代化の起動力は技術革新にあるという見方も、人びとの現実経験のうちに深く根ざしている。近代化の究極の起動力が技術にあるのか、それとも技術以外の要因(たとえば人間の精神力や組織力)にあるのかはしばらく別問題として、近代化といわれる歴史的社会的現象が、技術の異常な発展においてみられるということは疑いをいれない。だから技術が第一の近代化の要素としてとり上げられなければならないことも一応もっともであるといわなければならないであろう。」
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イノベーションと法

法律がイノベーション遂行の「妨げ」となる最近の事例は、「人間が自動車を運転しなければならない」(ドライバーは人間に限る)という道路交通法の規定である。全自動運転自動車というイノベーションの社会的普及委は、現行道路交通法のそうした規定を改定する必要がある。
 
事例1.蒸気自動車というイノベーションの社会的普及の「妨げ」となった19世紀イギリスにおける「赤旗法」
事例2.日本における電気自転車というイノベーションの社会的普及の「妨げ」となった「道路交通法」
事例3.セグウェイというイノベーションの社会的普及の「妨げ」となった「道路交通法」
事例4.銀行間のデジタルネットワーク(オンラインシステム)構築の「妨げ」となった「公衆電気通信法」
公衆電気通信法は1971年5月に改正されているが、それ以前の公衆電気通信法では公衆通信回線のデジタルネットワーク(オンラインシステム)の構築は、同法で禁止された「回線の共同利用や他人使用」に該当するものとしてできなかった。

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技術パラダイム論

Dosi, Giovanni(1982) “Technological paradigms and Technological trajectories : A suggested interpretation of the determinants and directions of technical change” Research Policy11(3), June 1982, pp.147-162
邦訳「技術パラダイムと技術軌道」今井賢一編(川村尚也訳,1989)『プロセスとネットワーク』第3章,pp.71-112
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Schumpeterにおけるイノベーションに関する二つの不連続性-技術的不連続性と遂行者的不連続性

Schumpeterは、新結合における不連続性に関して、下記のように技術の不連続性と担い手の不連続性という二つを区別すべきだとした上で,旧製品に関わっていた企業・人間が新結合の遂行者になることは原則としてない,と述べている。
 
「新結合の遂行者が、この新結合によって凌駕排除される旧い慣行的結合において商品の生産過程や商業過程を支配していた人々と同一人である場合もありうえるけれども、しかしそれは事物の本質に属するものではない。むしろ、新結合、とくにそれを具現する企業や生産工場などは、その観念からいってもまた原則からいっても、単に旧いものにとって代わるのではなく、一応これと並んで現れるのである。なぜなら旧いものは概して自分自身の中から新しい大躍進をおこなう力をもたないからである。先に述べた例についていえば、鉄道(Eisenbahnen)を建設したものは一般に駅馬車の持ち主(Postmeister)ではなかったのである。この事情は単にわれわれの基本過程を特徴づけている非連続性に対してとくに明らかな光を投じ、前述の第一種の非連続性[すなわち、軌道の変更]のほかに、いわば第二種の非連続性[すなわち発展担当者の変更]をつくりだす出すばかりではなく、さらにその付随現象の経過をも支配するのである。」Schumpeter,J.A.(1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung, 2nd ed., p.101[邦訳 (1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、p.153]
 
 
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Schumpeterの「革新」的経済活動における「生産」の主導性-「生産」主導的イノベーション論

シュンペーターは、下記のように、シュムペーターは欲求充足が生産活動の基準であるとしつつも、「通常」的経済活動と異なり、「革新」的経済活動では生産の側に主導権があり、生産の側が消費者に新しい欲望(neue Bedürfnisse)を教え込む、としている。すなわち、「通常」的経済活動では「消費者の欲求の充足」→「生産」というように欲求充足が生産活動を規定=主導しているのに対して,「革新」的経済活動では「生産」→「消費者における新しい欲求の生成」というように生産機構が規定=主導している、としている。供給と需要が互いに独立した要因である場合には通常の意味における均衡状態が成立するが、生産が欲求充足を主導する結果としてそうした均衡状態が成立しないことになう。
 
経済的観察は、欲求充足(Bedarfsbefriedigung)があらゆる生産活動の基準であり、そのときどきにい与えられる経済状態はこの側面から理解されなければならないという根本事実から出発するものであるとしても、経済における革新は、新しい欲望(Bedürfnisse)がまず消費者の間に自発的に現れ、その圧力によって生産機構(Produktionsapparat)の方向が変えられるというふうに行われるのではなく-われわれはこのような因果関係の出現を否定するものではないが、ただそれはわれわれになんら問題を提起するものではない-、むしろ新しい欲望が生産の側から消費者に教え込まれ、したがってイニシアティヴは生産の側(Produktionsseite)にあるというふうにおこなわれるのがつねである。これが慣行の軌道における循環の完了と新しい事態の成立との間の多くの相違の一つである。すなわち、供給と需要とをたがいに原理的に独立した要因として対立させることは、第一の場合には許されるが、第二の場合には許されない。この結果として、第一の場合の意味における均衡状態は第二の場合にはありえないことになる。
Schumpeter,J.A.(1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung, 2nd ed., pp.99-100[邦訳 (塩野谷祐一他訳,1977)『経済発展の理論』岩波文庫、上巻、pp.181-182,(1980改訳)『経済発展の理論』岩波書店、p.151)
 
 
すなわち、同書(Schumpeter,1912,pp.16-17、岩波文庫,pp.45-46)の第1章「一定条件に制約された経済の循環」における下記の文章は、通常の経済的活動について論じているものであることに注意する必要がある。
 
事物の他の側面、すなわちわれわれがその「自然科学的」および社会的側面よりもはるかに深く生産の内面に立ち入ることのできる側面は、個々の生産の具体的目的である。経済する人間が生産に当って追及する目的、およびそもそもなぜ生産がおこなわれるかを説明する目的は、明らかにその刻印を生産の方法と大きさの上に残している。与えられた手段と客観的必然性の範囲内で、この目的が生産の存在および「なにを」「いかにして」生産するかを決定しているということを証明するためには、明らかになんの議論 も必要ではない。この目的は有用なもの(Brauchbarkeit)の創出(Erzeugung )、消費対象(Konsumtionsgegenständen)の創出にはかならない。交換のない経済においては、その経済内の消費にとって有用なものだけが問題となりうる。この場合においては、個々の経済主体は生産したものを消費するために、すなわちその欲望(Bedürfnisse )を充足する(befriedigen)ために生産する。したがって、明らかにこれらの欲望の種類と強度が実際の可能性の範囲内において生産を決定する。欲望は経済主体の経済行動にとって根拠であると同時に準則である。それは経済行動の原動力を表わすのである。与えられた外的条件と経済主体の欲望とは経済過程を決定する二つの要素であり、経済過程の結果を生み出すさいに協働する二つの要素である。すなわち、生産は欲望にしたがい、前者はいわば後者によって引張られている。まったく同じことが、必要な修正のもとで流通経済にもあてはまる。」
 
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